金属モデルガンとMGCの思い出
金属製のモデルガン。
金属モデルガンは1971年と1977年に銃刀法の大きな改正があり、厳しく規制された。
まず、1971年には表面を黄色もしくは白色に着色して、銃膣を完全に閉塞することが義務付けられた。
これにより、1970年大阪万博にまでMGC(世界初のモデルガンメーカー)が出展していたくらい人気があったモデルガンという玩具からファンが離れて行った。
これは規制前のモデル(1970年)を適法に所持できるように金色で塗装した私のMGC製ピースメーカー。金色は黄色と同色と認められるが、銀色(シルバーメッキ等)は白色とは認められていない。金属製モデルガンのシルバーメッキモデルは71年規制ですべて姿を消した。
このモデルは71年規制直前の3rdバージョンだが、内部構造は1stバージョンとほとんど変わっていない。主な変更点は、シリンダーハンドが板バネ横置きタイプから鉄板型抜きタイプに変化した点。フレーム右側には10037とシリアルナンバーが見える。量産モデルでも一丁一丁にシリアルを打刻していた丁寧な作りの時代。物の出来としては、最初期の1stバージョンが一番良い。1stバージョンはシリンダーを回すと「チンチンチン」と南部鉄風鎮のような澄んだ金属音がする。しかし、2nd以降は「カチッ、カチッ」という音である。この3rdバージョンはハンマーを4thバージョン以降の物に換装している。
同モデルの銃身部。金属で完全に閉鎖。
まったくの発火不可の鑑賞用になってしまう。
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シリンダー(いわゆる回転式弾倉)は発売当時のままの形状でOKであったが。。。。77年規制のときには安全対策として、各部屋の仕切りに大きくスリットを入れることが義務付けられた。
スリット入りシリンダーについて、CMCは先行的に1960年代から安全対策としてこれを導入していた。
1977年規制の時は、バレル(銃身)とフレームが一体形の構造を持つオートマティック・ピストルのモデルガンが壊滅的打撃を受けて、世の中から消えて行った。
オートはプラスティック(ABS)をメイン素材とするタイプに切り替わらざるを得なかった。1970年代中期以降、モデルガンはプラスティック製が主流になっていく。
さて、暗い話ばかりでも何なので、ちょっとマニアックな話を。
いずれ原稿が校了したらサイトにアップするが、MGCのピースメーカーの変遷とMGCの思い出について。
国内で初のピースメーカーのモデルガンはMGCが1967年秋に「フロンティア・シリーズ」と銘打って発表した。発売は翌年にずれ込んだと記憶している。
手元の資料を見ると、当時のシビリアンの価格が3,600円。フロンティアが3,800円。キャバルリーが4,200円。バントラインが4,500円となっている。
ちなみに1967年の大卒初任給は26,200円だ。比率で現在と単純比較はできない。当時は自家用車を所有してるのは裕福な層だった時代。如何にモデルガンが高いオモチャだったかがわかる。おいそれと中学生や小学生の子どもが買える玩具ではない。モデルガンのファン層が中高年だったのも頷ける。かく言う私も、小学生のときには、お年玉等のお小遣いをこつこつ貯めて1年に1回~2回モデルガンを買うのがやっとだった。店頭で見てずっと欲しかった目当てのモデルガンをお金が貯まったから買おうと喜び勇んで店先に駆けて行った小学校5年の秋、銃口が閉鎖されて金色に染められた無残なモデルガンの姿を見た時には大きなショックを受けとてつもなく落胆した。
小学校4~5年の時、一人でアメ横に行くことが多かったが、思い出すに父に何度か上野まで同行してもらったこともあった。毎回貯金箱を持って行って店のカウンターでジャラジャラとお金を勘定するのだが、満員電車のように店内がすし詰めだったにも拘わらず、カウンターで貯金箱から小銭を広げて「すみません」と数え始める少年に対して、MGCの店員さんも、マルゴーの店員さんも「いいんだよ。ゆっくり数えて」と言いながら微笑みかけてくれて、いつもとても優しかった記憶がある。後にいろいろお世話になるCMCは、当時はちょっとだけお高くとまっている感じがしたけど銃のメカのアドバイスなどは親切だった。当時の上野アメ横のモデルガンショップは、そんな下町の人情味あふれる雰囲気に包まれていた。
さて、高度経済成長の影響で1970年頃から車もモデルガンも一般の家庭に普及していく。モデルガンといえば、当時の大人たちは1950年代から60年代後半にかけて「西部劇」の影響を多く受けたため、リボルバーではピースメーカーに人気が集まった。
オートでは映画007が東京でロケされたこともあって、ボンドの使うワルサーPPKに人気が集中した。内壁の煉瓦に黒い金属モデルガンを埋め込んだ狭いMGC本店は「ボンドショップ」というのを正式名称としていたくらいで、通常我々が通った1階が靴屋でエレベーターが止まりそうな古びたビルの4階にあったガンラックにずらっとおびただしい数のモデルガンが並ぶ広い店舗は「サービス部」と正式には呼ばれていた。
サービス部の店内はいつでも超満員で店内を歩けないくらいだった。ボンドショップ本店の方は比較的空いていた。60年代にはモデルガンを買うには住民票の提示が必要だったと記憶している。
余談だが、007の日本ロケ作品(邦題『007は二度死ぬ』)でショーン・コネリーがPPKを発射するシーンがあるが、スローで見てみるとどうもタニオアクションのMGCモデルガンを使用しているように見える。(*タニオアクション・・・・MGCのガン・デザイナー小林太三氏が発明した作動方式。引き金に連動してスライドが後退して排きょうし、次に前進したスライドの重みでカートをチャンバーに送り込んで撃発する。1970年代後半まで一般モデルガン業界では「ダブルアクション」と呼んでいた)
さて、MGCのピースメーカーには時代によってバージョンがある。
少し私が知り得る範囲で特徴をまとめてみよう(ここ以降はマニア向けです)。
<1967年秋> 発表(発売1968年)
《1st Version》
【特徴】
1.バレル左側刻印→ SINGLE ACTION ARMY Cal .45 Colt
2.バレル右側刻印→ NO.A**** (1丁ごとのシリアルナンバー)
3.フレーム左側刻印→ Cal 45 Long Colt MGC MANUFACTORY
4.フレーム左側刻印→ ランパント・マーク(馬が槍をくわえて前足を上げたコルト社のマーク)
5.フレーム可動部3本スクリュー(1本ダミー)
6.シリンダーハンド→ 板バネ横置きタイプ
7.ハンマーヘッド・ファイアリングピンが台形大型
8..ハンマーの起き代が浅い
《2nd Version》
【特徴】
1.バレル左側刻印→ FRONTIER SIX SHOOTER Cal 44-40
2.バレル右側→ シリアルナンバーなし
3.フレーム左側刻印→ Cal 44-40 Long blank MGC MANUFACTORY
4.フレーム左側→ ランパント・マーク
5.フレーム右側→ シリアルナンバーあり
6.フレーム可動部3本スクリュー(1本ダミー)
7.シリンダーハンド→ 鉄板型抜きタイプ(これ以降この方式)
8.ハンマーヘッド・ファイアリングピンが台形大型
9..ハンマーの起き代が浅い
《3.1 Version》
【特徴】
1.バレル左側刻印→ FRONTIER SIX SHOOTER Cal 44-40
2.バレル右側→ シリアルナンバーなし
3.フレーム左側刻印→ Cal 44-40 Long blank MGC MANUFACTORY
4.フレーム左側→ ランパント・マークなし
5.フレーム右側→ シリアルナンバーあり
6.フレーム可動部3本スクリュー(1本ダミー)
7.ハンマーヘッド・ファイアリングピンが台形大型
8..ハンマーの起き代が浅い
《3.2 Version》
【特徴】
1.バレル左側刻印→ FRONTIER SIX SHOOTER Cal 44-40
2.バレル右側→ シリアルナンバーなし
3.フレーム左側刻印→ Cal 44-40 Long blank MGC MANUFACTORY
4.フレーム左側→ ランパントなし
5.フレーム右側→ シリアルナンバーあり
6.フレーム可動部3本スクリュー(1本ダミー)
7.トリガーガード下→ JAPANの刻印
8.ハンマーヘッド・ファイアリングピンが台形大型
9..ハンマーの起き代が浅い
---------ここで71年銃刀法規制----------
《4th Version》
【特徴】
1.バレル左側刻印→ なし
2.バレル右側→ シリアルナンバーなし(フレームにもなし)
3.フレーム左側刻印→ Cal 44-40 Long blank MGC MANUFACTORY
4.フレーム左側→ ランパント・マークなし
5.フレーム可動部2本スクリュー(1本モールド)
7.ハンマーヘッド・ファイアリングピンが台形大型→74年からスチール丸棒のピンに変更
8..ハンマーの起き代が深い
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【MGCの特徴について補足】フレームの刻印は、同じ単語でも時代によって書体が違っていたりする。これは1971年規制後のモデル内で変化が顕著に見られる。
1974年頃に刻印の打刻ポンチそのものに変更があったと思われ、1973年モデルと1974年以降モデルでは「b」の書体が異なる。Long blank の「b」の文字の丸いR部分が大きめにカーブしてるのが後期型。
また、文字間隔も各時代でバラバラであり、1967年製の打刻はLongの文字の各間隔が非常に狭い。総じて、古い時代の物の方が毛彫りしたような「細い」刻印。精緻で克明な印象を受ける。時代が新しくなるほど丸ゴチック風で「焼印」を押し付けたような打刻痕になる。これは金属モデルガンに打刻を打つための鋼のポンチ(もしくは打刻ローラー)の刃先が時代と共に磨耗したためと思われる。時代が下るほど、ボテッとしためりはりのない書体になっていくのは製造工具の損耗からいたしかたないことだ。
ちなみに、時代が上がるほど加工がきっちりしているのは他のパーツを見ても明らかだ。例えば、シリンダーベースピンの仕上げは1967年モデルがそれ以降のモデルと比較して一番丁寧で、一品ごとの旋盤での削り出し手仕事であることがすぐに判り、工芸品のような趣がある。
1970年製はそれ以降と同形状であり、ベースピンが量産されるようになったのは1970年頃からと推量できる。
銃全体のディティールの造形は時代が下るにつれ設計者の実銃の研究が進むことによりモデファイに正確さを増すのであるが、加工のための製造機械はそれに抵抗する。造形に関する設計の進化と反比例するこの製造過程の「加工精度」についての現象は、金属モデルガンの避けられないひとつの負荷の特徴として興味深いものがある。設計者がどんなに良い設計をしても、全体のシルエットは同じ金型を使っている限り時代が経るにつれ完成品は「ダレた」造形となってくるのだ。
事実、同機種で同じ金型を使った物を見ると、年月が10年違うとまるで別物のような印象を受ける。新しい物の方が雑な製品となっているのは明らかな事実だ。新鮮なエッジの立った造形とするには、量産向けには金型を新しくするか、あるいは純カスタムのように一丁一丁手作業で仕上げるしか方法はないだろう。
六研が金型を使わずに手作業の少量生産削り出しカスタムにこだわったのは、MGCの小林さんと並んで竜虎とよばれた歴史的なモデルガン設計者であった六人部さんがこうした量産金型の造形の限界性を知悉していたからだと思われる。
また、MGCのSAAハンドガードのグリップ底部にある「JAPAN」の打刻については、時代によって入っていたりいなかったりする。ひょっとすると、輸出用の部品を装着した個体が国内販売用の商品に紛れ込んだのかも知れない。出荷が間に合わない製品については、客への便宜を図るため、現存する部品ストックを組み立てて一丁を仕上げることがMGCでは時折行われたからだ。
これと同様の現象か、今までのMGCの製品とは異なる鮮やかな色の金メッキを施したエジェクターチューブとシリンダーゲートを装着したsmモデル(1977年smG規制以前の自主規制モデル。1975年前後)のバントラインを私は所有してる。
明らかにそのパーツだけ取って着けたような感じで、これは輸出用金メッキモデルのパーツを部分的に装着したものではないだろうか。
その個体にはグリップ底部にはJAPANの打刻がある。JAPAN打刻の実態については、どのような経緯で打刻の有無があるのか現在のところ情報不足で詳らかではない。今後の研究に俟つ。
【2006年5月23日追記】
このブログを読んだ方からメールを頂きました。MGCのSAAバレル刻印について、
FRONTIER SIX SHOOTER Cal 44-40 の刻印はシビリアンとフロンティアのみで、
SINGLE ACTION ARMY Cal .45 Colt の刻印はキャバルリーとバントライン用ではないだろうか、というご指摘でした。
しかし、1976年に私は.45 Colt刻印の4.75インチ銃身の個体を経眼していますので、モデルの存在については、今後さらに情報を収集したいと思います。
また、シリンダーハンドについては、3つのタイプが存在したことを教えて頂きました。ありがとうございます。
MGCのSAA用シリンダーハンドは、最初期(仮にVer.1と呼びましょう)は、実銃と同じような形状の板バネをハンド本体に挟んだ形状(CMCタイプ)でこれは発売当初のカタログに載っていたタイプ、Ver.2はハンド本体が板バネ横置きのタイプ、Ver.3はハンド部が鉄板打ち抜きでワイヤースプリングでテンションをかけるタイプのようです。私が最初期と思っていた物は、どうやらVer.2だったようです。
なお、TRCのシリンダーは最初から最後までノンスリットの貫通だったようです。ご指摘ありがとうございました。
また、シリアルナンバーについても、アルファベット入りとそうでないものがあり、時期によって同一本体バージョンの中でも刻印が違っている物があるようです。フレーム右に打刻されるシリアルナンバーもアルファベットが入っている個体といない個体があるようです。(アルファベットがある方が古いようです)
後年のMGCがよくやる 01・79 のようなフレーム刻印は一丁ごとの個体シリアルではなく製造年月、もしくはモデルのうちバージョン発表期を示したものと思われます。これはプラスティックのモデルにも適用されています。ちなみに私のsmG刻印のSAAシビリアンには05・80というフレーム刻印がありますので、「1980年5月のモデル」という意味だろうと思われます。
推定ですが、この年月表示のMGC方式の刻印が、ある時期まで遡って採用されていたとすると、私の所有するSAAのうちフレームに10037と打刻されている個体は、「1971年の37丁目」ということになるのでは、と推量しています。それ以前のモデルのアルファベット併記の刻印はまったく一丁ごとの本当の意味での通し番号のシリアルナンバーなのでは、と思います。これらについても今後研究して行きたいと思っております。
国内では、まだMGCのSAAについてよくまとまったサイトが存在しません。多くの情報を整理してMGC-SAAのサイトコンテンツとしてアップしたいと考えております。どんなささいなことでも、何か情報をお持ちの方はご連絡をいただけると幸いです。
【2006年5月26日追記】
その後の調査で、MGCのSAAにはキャバルリーおよびバントラインでも44-40刻印の物が存在したことが判明しました。
また、MGCピースメーカーに王冠マークが打刻されていた時代もあります(当方所有)。
情報をお寄せいただいた方に感謝いたします。
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その後、1977年規制前にフレームに深く大きなsmマークが入れられる(これは実に美的にいただけない。デザインが台無しになっている。私見だが、小ぶりな王冠マークの方がまだましだ)。更に後、smGマークが金属モデルに刻印される。77規制により、シリンダーにもスリットが入れられる。なおシリンダーのガス抜けは4thの初期バージョンまでは室の下側が貫通していてエジェクターロッドが使用できたが、4th後期バージョンでは金型変更に伴い、シリンダーの室が上側が貫通・下側インサートという方式に変更された。これにより、エジェクターは一切使えなくなった。1960年代の出来の良いMGC SAAの様々な工夫は、この頃は見る影もない。
このすぐ後にはエアガンの普及によるモデルガンの衰退とモデルガンに固執したMGCの倒産、という大きな事件が控えていたことを象徴するように、80年代初期はMGCに元気がなくなっていった時期でもある。起死回生を図って国内初のMGキャップ火薬1発で快調にブローバックするコルト・ウッズマンを1979年に発表するが、ほんの3年後から経営に陰りが見え始めるのだ。
コルト・ウッズマンは、マンガ『ワイルド7』が大流行した1970年代初期~中期に発売するべきだっただろう。手元にある四つ切版のMGC両面カラー大型広告チラシ(ワイルド7がTV放送された1973年時の物)によると、73年当時に次期プラスティック製品としてウッズマンを発売することが発表されている。
しかし、発売はそれから6年後、マンガ『ワイルド7』の連載終了の間際だった。かろうじてワイルドのリーダー飛葉をイメージキャラクターとしてパッケージや広告チラシに採用できたMGCだったが、その後の動きを見ても、どうも時代の流れを掴んだ対応に欠けるようだ。
この点、国本圭一氏率いるWA(ウエスタン・アームズ)は、時流に即応する体制を敷いているが、WAは次から次に新製品が出てかつての優良機種がすぐに廃版になるのが玉に瑕だ。
MGCピースメーカーに話を戻そう。
MGCピースメーカーは80年頃製造中止。かろうじて生き残っていたSAAのパーツを使う51ネービーもその頃製造中止。
さて、MGCピースメーカーのバレル内インサートの変遷は?
私が知っている範囲でまとめてみました。
あってる?
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たぶんこれでいいとは思いますが、なんせ細かくどんどん改良変更をするメーカーだったので、これ以外にもインサートがあったかも知れません。それに、71年規制直後の銃口の閉栓は、カートに火薬詰めてバンバン撃っていたらスポーンととれたりしたケースも多くありました。私の友人のフロンティアもそうでした。
77年規制以降は当時の資料図によると超高硬度の特殊鋼を銃身内部に鋳込んであったようです。これにより、銃口部からドリルで穴を開けようとしても銃身が脆い亜鉛合金でできているので、硬度差によりドリルの刃がすべって銃身そのものを壊してしまう、という構造になっていたようです。バレルの切断も不可能だったことでしょう。
【6月7日追記】
ネット上で上記(2)タイプのインサートが銃身右側にあるものを確認しました(銃口画像保存済)。
インサートは超硬質鋼材ですので、キャスト・メルティングの問題から亜鉛合金の内部にセットするのはさぞかし困難だったろうと思われます。
従って、インサートが右にあるのは銃身左側にスタンプされた刻印に影響を与えず好都合と一見考えられます。
しかし、バレル右側にインサートがある個体の存在理由は、製造上のロストワックス(キャスティング)の困難性の問題とは直接関係ないと思われます。
なぜならば、MGCのSAAでバントラインやキャバルリーの銃身なのに.45Coltでなく44-40スタンプのある個体も存在し、さらにスタンプされた時代の劣後も現象として見てとれますので、インサートが左にありスタンプとの兼ね合いで製法上の制約を受けたがためにスタンプの表記例を変更したとは考え難いからです。
また、スタンプにいろいろな表記例がある理由は(これは工業界に身を置くとよく解るのですが)、1960年代当時はシステマティックな生産管理が行われておらず、「現合(げんごう)」という現場作業者の手作業に生産の根幹を委ねる方式だったことが主な理由と思われます。
最先端の自動車工業界においてでさえ、部品の生産をシステマティックに管理しだしたのはごく最近のことなのです。それは誰がやっても同じように生産できるNCマシンや品質管理の基準であるISOの設置がごくごく最近なされたことを勘案しても推して知るべしだと思います。ロボットやNCが導入される以前のついこの前までは、殆どの工業製品は「工場」においてでさえギルド時代とあまり変わらない方法で作られていたのです。
これは実銃の世界でも常識で、同機種別パーツをつけようとしても互換性がないつい最近までのS.A.A.などの存在は、工業生産品がいかなるものだったかの態様をよく表しています。自動車界でもシステム管理が軌道に乗ったのは、ここ30年くらいのことです。それ以前はエンジンひとつとってみても、量産車で同機種他車のシリンダーヘッドを換装しようとしたらボルト穴が合わなかった、などということは往々にしてあったのです。
MGCモデルガンのスタンプに一定のパターンが存在しないのは、生産現場主義の一般工業界と同じく、「そのとき任せ」という時代を表しているのかも知れません。
骨董品でもそうですが、工業製品の鑑定をする際には、現在の常識を以って当時を見るのでなく、生産されたその時代の製造法の作業基準や常識や社会背景を知悉していなくてはなりません。
インサートに話を戻します。
さて、あくまで推測ですが、MGCが通常生産ラインでインサートをあえて左側にセットしたのは、右側に装着されているエジェクターとの重量的バランスをとる為にわざわざスタンプに影響を及ぼす銃身左側を選択したのだと思います。
後年、銃身のスタンプはシリアルナンバーと共に消滅しますが、これは前述した製法上の制約によるものでなく、金型の劣化に伴う簡略化(コストダウン)のためであると推量されます。
ゆえに、バレル右側にインサートが存在するごく稀な個体の発生理由は、その存在と同じように生産過程におけるイレギュラーな事態への対処の結果であると考えられます。
つまり、キャスティングで何らかの失敗があったために右側にインサートを設置して製品として形にしたのでは、と。左側スタンプに影響を及ぼさない右側インサートの方が物理的に有効とMGCが判断したのであれば、右側インサートがスタンダードとして量産されたでしょうが、現実はその逆だからです。
インサートを左に設定したのは、あくまで重量バランスとの兼ね合いをMGCが勘案したからであり、このことは貫通銃身時代にはあえてインサートを左に設定した物の期間が長かったことからも察知できます。
また、ゆえに多岐に渡る銃身左側スタンプの変更は、インサートを左に設置したことによる亜鉛とハイテン鋼の融点の相違等のキャスティング上の制約とは直接的には関係がなく、当時の工業界の時代背景に沿った結果であろう、ということです。
それにしても、71年~78年頃までのMGCの金メッキは通称「虹色メッキ」とも呼ばれていて、現在の工業製品のボルトやナットの錆止めにかけるような一番安価なメッキ処理をしていました。これがくすんですぐにハゲる。かといって金属モデルをブルーイングするのは御法度なので、当時はとても困りました。77規制のsmGモデルをリリースしだした80年前後頃から、やっとMGCでも他メーカーと同じようなまっとうな金メッキを施すようになったようです。
【6月9日追記】
またもや別パターンのMGCピースメーカーのインサートをネット上で発見しました。
機種はバントラインのカービン。
まるでプラスティック・モデルのインサートのようです。
75年リリースの初期型ローマンと全く同じタイプのインサート(ローマンはその後横置きインサートとなります)から推測するに、多分1976年前後の生産ラインでは。
これで、現在まで確認できているだけで、インサートパターンは6種類になります。
まとめると、
1.下側台形タイプ
2.左側丸ピョコタイプ
3.右側丸ピョコタイプ
4.閉栓タイプ(中のインサートは左側手すりタイプ)
5.完全閉鎖(中不明)
6.縦置きフラットバータイプ
これは上記の6.に該当します。
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コメント
小学生の頃、金色の357マグナムやパイソンに憧れたものです、今から思えば単に「重さ」に憧れていただけかも知れませんが。
そういえば先日、エアガンの規制が強化された、というニュースを見ました。
投稿: しとろん | 2006年5月19日 (金) 19時31分
パイソン。
名銃です。
実銃では今でもリリースされていて、アメリカでも人気の高い機種です。
茶木のギターのように「雑な仕上げ」というのが定番のコルトの製品の中で、「唯一高級感のあるモデル」と呼ばれているそうな(^^;)
金属モデルガンは亜鉛合金なので、メッキが実は大変。
電気を通さないので、一度銅メッキを下地にかけてあげる必要があります。
実銃では特別な銃にときどき金メッキをかけたようですね。
ドイツのゲーリング・ルガーを真似して、パットンが「しからばわしはこれぢゃ!」とばかり自分の愛用のピースメーカーに金メッキかけてエングルーブ彫ったように。
http://www.ne.jp/asahi/tao/so-sui/saa-patton.htm
金属モデルガンの金メッキにもいろいろあります。
一番ひどかったのが、1972~1978年頃のMGC。
そりゃ~もうああた、ナットやボルトみたいなメッキでっせ。
79年頃からMGCも綺麗なメッキを始めます。
最近で綺麗なメッキはマルシンというメーカーが限定で出した開拓時代の保安官バット・マスターソンの銃をモデルアップしたピースメーカーがいい表面のメッキ味を出しています。
http://kelu-cafe.com/SAA/bat.jpg
本物のバットの銃はこれ。
http://kelu-cafe.com/SAA/SG_Masterson.jpg
.357マグは私も憧れました~。
「ルパン三世」シリーズの出だしの登場人物説明があるじゃないですか。
「俺の名はルパ~ン三世」というやつ。
その中で次元を紹介するときに「コンバットマグナム」という言葉が出て来て、それでハマリましてん(^^;)
次元が一番好きやったから(^0^)
あいつだけずっと謎の女に騙されずに渋かったし。
五エ門なんて、初めて登場したときは不二子にメロメロで斬鉄剣の製作秘伝書盗まれちゃうし(笑)
で、ルパンと恋敵になって張り合って、執念深い振られ仲間同士で最後は仲良くなって五エ門が仲間に入るのね。
そのときの次元のセリフはたしか「やれやれ。またお荷物が増えたか」だったような。。。(記憶あいまい)
ハードボイルダーにはマグナムがお似合い。
米語のスラングではマグナムを「マギー」と愛称するそうです。
投稿: 渓流 | 2006年5月20日 (土) 02時52分
確かに70年代前半の金色仕上げは、安っぽかったですね。
後に、樹脂製だけどそれなりに重量感のあるモデルが登場
したとき、こっちのほうがリアルぢゃん、と思ったりしました
また、ブルーイング処理されたモデルも美しいです
きれいに焼けたバイクのエキパイと同じですね
投稿: しとろん | 2006年5月20日 (土) 06時59分
>きれいに焼けた
あはは。
ところが、私は町乗りは2スト派だったのでチャンバーも
マフラーも真っ黒の塗装で。。。。
はっ。
しとろん様と話してると思い出してしまう。
4フォア時代があった。。。(爆)
投稿: 渓流 | 2006年5月22日 (月) 13時21分
例の場所に前回の新種がまた出没してます、右側タイプです。すでに絶滅の品種ですが(笑)更なる調査のため、質問だけしてみるのも一考かと。ちなみにフレームNo.のようです。逃げてしまわないうちに(爆)
投稿: ブロンディ | 2006年6月12日 (月) 23時35分
MGC SAA 規制前のグリップフレームのトリガーガード上部に突起(角)がありますが、規制後はないようです。
投稿: スネーク・ハンド | 2009年1月24日 (土) 09時53分
スネーク・ハンドさま。
情報ありがとうございます。
こういう情報が大変貴重です。
投稿: 渓流詩人 | 2009年1月30日 (金) 19時46分